古時計からの伝言
 
この春からA美は東京の大学に進学する。新生活のスタートを目前に控えた慌ただしいこの時期に「物置からあんたの荷物が出てきたから、持っていきたい物がないか確認しなさい」という母からのありがた迷惑な指図を受けるはめになった。いるものがあるとは思えないが渋々、黄ばんだ段ボール箱を確認していると、奥から懐かしいものが出てきた。祖父が大事にしていた時代がかった置時計だ。もう壊れて動かないがしのびなく、ずっと捨てずに持っていたのだ。
A美の家は商店街の一角でうどん屋を経営しており、両親は常に忙しく働いている。そのため幼少の頃はほとんど祖父と祖母に面倒をみてもらっていたのだ。そんな、いつもA美をかわいがってくれた二人は既に他界している。A美は祖父が亡くなった時にこの時計を形見として譲り受けたのだ。
(懐かしい・・。)
それはねじ巻き式の振り子時計で、文字盤には2つの穴があり右側が時計の針を動かすゼンマイ穴で、左側が時刻を知らせる時打ち用のものだった。A美は祖父と一緒にそのゼンマイを回すのがとても楽しみな作業だった。A美の脳裏に振り子を揺らしながらボーンボーンと重たげな音を鳴らす置時計の姿が浮かんだ。
(こんなところにしまいこんでいたんだ・・。)
A美は懐かしさからそれを自分の部屋に持ち帰った。必要な荷物はもう既に下宿先に送ったせいか、妙にがらんとしている気がする。とりあえず慣れ親しんだ本棚の上に祖父の時計を置いた。でたらめな時間を指し振り子の止まった時計を見ていると、どちらかというと不安な気持ちの方が強い現在の心境のせいか、なんだか少し物悲しい気持ちになった。
 
 
夜も更けて、ベッドに潜り込もうとしたA美はふと奇妙な違和感を覚えた。どこからか、ほんのかすかだがジジ、ジジとねじを巻くような物音が聞こえてくるのだ。
(なんだろう?)
立ち上がりきょろきょろと辺りを見回していたその時、ふと目を止めた姿見を見てA美は短い悲鳴をあげてその場に凍り付いた。姿見には対面に置かれたあの形見の置時計が映り込んでいた。そして、なんと鏡の中の時計の振り子が勢いよく揺れていたのだ。時計からコチ、コチという音までが鏡を通して聞こえてくる。A美は口をパクパクさせてその場から動けずにいた。まるで金縛りにでもあったかのように体の自由がきかないのだ。A美が呆然と立ちつくしているその間にも時計の針は少しずつ進み、やがて夜中の12時になった。
ボーン、突然時刻を知らせる時計の音が鏡の中から鳴り響いた。
A美は飛び上がらんばかりにびっくりした。心臓は驚きのあまりバクバクと激しく波打っている。しかしなぜか、こんな状況にも関わらずA美の意識は時計が刻む規則正しい響きに集中していた。冷静に時打ちの数をきっちりと数えていたのだ。
(5、6・・11、12、13・・あれ??)
時計はなぜか12回を過ぎても鳴り響き、そして19回目でその音は突然止んだ。
(どうして?・・。)
時計の振り子は役目が終わったと言わんばかりに徐々にその動きが緩慢になっていった。コチ、コチという機械音も段々と小さくなっていく。しばらくして、鏡の中の時計は完全にその動きを止めた。
 
 

 
 
 
A美は、はっとして振り返り本棚の上の置時計を見た。時計は12時をちょうど指している。もちろん振り子はピクリとも動いてはいない。
(でたらめな時間で止まっていたはずなのに・・)
部屋にある電波時計で現在の時間を確認すると、実際にもう12時を過ぎていた。無機質なデジタル数字が刻一刻と時間が刻む様子を、A美は混乱した頭でぼんやりと眺めていた。今、自分の目の前で起こったことがにわかには信じられなかったのだ。
(一体なんだったの・・。時計が19回鳴って・・。19・・。あつ!)
A美は電波時計に表示された今日の日付を凝視した。今日はA美の19回目の誕生日だった。
(もしかして、さつきのはおじいちゃんが・・?)
自分の誕生日を祝って、おじいちゃんが時計を鳴らしてくれたのだろうか?
A美は祖父との思い出が胸をよぎった。幼いA美にある日ぽつりと祖父が言ったことがある。
「じいちゃんな、昔東京に行こうと思ったんだ。何か夢があったわけじゃない、ただ東京に行けば楽しい生活が待っている、広い世界が見られる、そんなふうに思ってな。」
しかしうどん屋の跡取り息子であった祖父は家族の猛反対を受け、結局その夢は立ち消えとなった。日々の忙しさの中で、いつか東京へ行こうという思いは日常の中に埋もれていった。
 
 
新幹線に乗れば2時間半足らずで東京に行くことができる。思いの外、この町から東京はそう遠くないのだ。しかし祖父にとっては、はるか彼方の幻のような場所だったのかもしれない。どちらかと言えば内向的なA美が周囲から意外に思われながらも東京の大学を選んだのは、この祖父のエピソードが記憶のどこかに残っていたからなのかもしれない。
誕生日おめでとう。東京に行っても頑張ってな。
どこからか、祖父のささやきが聞こえたような気がした。
(ありがとう、おじいちゃん。私、頑張るからね。)
A美は12時ちょうどを指す、古ぼけた時計を手に取った。東京に持っていく荷物が一つ増えた。